「ダイビングなんて、簡単だ」
半泣きになったライセンス講習1日目を終えての感想がそれだった。
この分なら本気を出すまでもない。
講習2日目の今日も、きっと楽勝に違いない!
目次
ライセンス講習2日目
おだやかなスタート
オープン・ウォーター・ダイバーライセンス講習2日目。
1日で海洋実習3本と学科試験をこなし、その全てに合格すれば晴れてダイバーの仲間入りである。
まずは昨日と同じ流れで浅瀬に移動した後、「フィンピボット」と呼ばれる「中性浮力を確認するためのトレーニング」を行う。
さして難しくはない。
潜行開始。
潜り切ったところでいよいよテスト開始である。
まずは中性浮力。
水中で浮きも沈みもしない状態を作り出す。
これもそれほど難しくはなく、あっさりと合格。
鬼門マスククリア
さて、どんなジャンルにもいわゆる「初心者の壁」と呼ばれる難関があるのが世の常である。
ギターならばFコード、C言語ならばポインタ、将棋なら棒銀対策がそれに当たる。
そしてスキューバダイビングにも、「初心者の壁」と呼ばれる難しいスキルが存在する。
マスククリアだ。
ダイビングのマスクとは、目と鼻を覆う透明なゴーグルのことである。
マスククリアとは、このマスクの中に水が浸入した際、鼻から息を出しマスク内の水を完全に取り除くスキルのことを言う。
単純に言うと「鼻から息を出し続ける」だけの作業なのだが、これが恐ろしく難しい。
ダイバーは水中において、酸素タンクから延びるレギュレーターをくわえ口呼吸を行っている。
レギュレーターをくわえて呼吸し続ければ死ぬことはない。
さて、呼吸は当然だが常に行う必要がある。
マスククリア直前、鼻は水に浸かっている。
この状態でマスククリアを行う(鼻から息を出す)ために口から息を吸おうとすると、慣れていない人はほぼ間違いなく鼻でも呼吸してしまう。
結果、鼻から水が入り、塩辛い海の水が膨大に飲み込んでしまうことになる。
失敗、そしてパニック
この日、ぼくが陥ったのも同じ失敗だった。
鼻から息を吐こうとして口から空気を吸い込んだら、鼻から水が入ってきたのだ。
鼻の奥がツンとむせかえり、予期せぬ海水が喉を流れていく。
カンタンに言うと溺れかけている状態である。
壮絶なパニックに陥った。
とっさに生存本能が働き、一刻も早く水面に上がろうと行動した。
「緊急浮上」は死地に置かれたダイバーの最後の手段である。正しく行わねば逆に命の危険に晒される。
だが、そんなことはどうでもいい!
今はとにかく飲み込んだ水を吐きたいのだ!
上へ行こうともがき始めたぼくの肩を、誰かの手ががっしりと捕える。
誰だ。
これじゃ水面に上がれないじゃないか。
助けてくれ!
泣きそうだった。
地上だったら全力で泣き叫んでいたと思う。
ぼくを押しとどめたのはインストラクターだった。
パニックになってじたばたしていたぼくを抑えつけ、「大丈夫だ。もう1度やってみろ」と言う。
いや水中だから言葉が通じるはずはないのだが何かそう言っている気がした。
どうしよう。何をすればいいんだ。
インストラクターに捕まって動けない。
生きるためにここで何かをしなければ。
そうだ、呼吸だ。
呼吸をしなければ。
レギュレーターを咥えて呼吸し続ければ死ぬことはない。
ダイビングの大原則である。
マスクが水に浸かっているので目を開けられないまま、飲みかけ状態の水をすべて飲み込み、くわえていたレギュレーターで必死に呼吸を再開する。
のどが辛いが、何とか平常になった。
本当に死ぬかと思った。
その後もう1度失敗してこの世の終わり感に囚われたが、最終的には何とかマスククリアが出来るようになった。
日本に帰ったらもっと練習しておこう……。
死線の蒼を越えて
平和な時間
1本目のダイビングが終わり浮上する。
BCDに空気を入れ、波間にぷかぷかと揺れる。
良い天気である。
このままずっと平和な海の上で浮いていたいなあ……。
しかしそういうワケにもいかない。
小休止の後、2本目の潜行開始。
ウエイトの脱装着やスクーバ・ユニットの脱装着などをこなす。
マスククリアの実技で1度地獄に落ちていたので、全体的に落ち着いて行うことができた。
水中ツアー
その後、水中ツアーと洒落込む。
インストラクターがゆっくりと投げる石をキャッチするだけでもかなり難しい。
どうでもいいが、言葉の通じない水中ではハンドサインが主な意志疎通の手段となる。
インストラクターの「大丈夫だ」という単純なOKサインが何よりも心強いのは、きっとぼくだけではないだろう。
インストラクター自体が地上より何十倍も頼もしく見えるのも、きっと錯覚ではないだろう。
一度浜に上がって休憩し、本日三本目のダイビングを開始する。
コンパスを使い目的地までの生き帰りを行う「コンパスナビゲーション」、緊急時に息を吐きつつ浮上する「緊急アセスメント」などを行う。
取り立ててつまづきもせず、めでたく海洋実習の全てが終了した。
ライスンスゲットまであと少し
これで残すはペーパーテストだけだ!
嬉しさのあまり、海から上がり際に浅瀬で遊んでいる地元の子供たちとハイテンションで話す。
すぐ近くでダイビング前の説明を受けている日本人観光客が10人程おり、「あの人たちはキミの友達?」と子供に聞かれた。
知り合いではないので”No Friends”と答えたが、これだと「ぼくには友達がいない」という悲惨な宣言になる。
しかし細かい事がどうでもよくなるくらい浮かれていたので、「またね!!!」とその場を後にした。
オープン・ウォーター
店に戻り昼食を取るとあっという間に穏やかな昼である。
学科のテキストをひたすら読み、練習問題を解く。
睡魔に負けつつ一通り終える。
そして学科試験開始。
合格は正解率75%以上。
会心の出来だった。
100点満点だと確信した。
採点が始まる。
無慈悲に×が付けられていく。
あ、あれ。結構ミスありましたね。
え? まだ×付けるんですか? それくらいでいいんじゃないですか?
結果。
50問中43問正解。
正答率86%。
合格だった。
「おっしゃあ!」と欠片もヒネりがない快哉を叫び、ようやくぼくはオープン・ウォーター・ダイバーになった。
ダイバーのダイビング記録を綴るログブックと仮ライセンスカードを受け取り、ダイビングセンターを後にした。
最高だ。
ダイバーになれた、最高の1日だった。
帰るまでがダイビングです
まさかの交通事故
しかし最高の気分は帰り道のタクシーで早々に吹っ飛んだ。
ありのままにその時起こったことを話そう。
ぼくの乗っていた送迎タクシーが、右側の交差点から右折してくる2人乗りバイクと接触する交通事故を起こした。
何を言っているのか分からないと思うが、ぼくも何が起こったのか分からなかった。
セブにおける交通事故のメカニズム
一般的に、セブには信号が無い。
空港近くなど極一部のエリアには申し訳程度に存在するが、全域的には信号は全く存在しない。
そのため交差点では常に複雑怪奇な駆け引きが行われ、どちらが先に通れるかは微細な機微に基づく暗黙的了解とエゴの衝突による瞬間的な交渉結果から決定される。
今回の場合、「まぁあっちが止まるだろう」と高を括りこちらを一顧だにしなかった2人乗りバイクと、「まぁあっちは気付いているだろう」とハンドルを切らなかった送迎タクシーの思惑がすれ違い、接触事故と相成ってしまった運びである。
白熱する論争
さて、接触したバイクは路肩に停まり、続いて送迎タクシーも路肩に停まった。
「ちょっとここで待っててくれ」と言われ、大人しく待つことになった。
壮絶な弁舌戦が始まり、悪いのはそっちだ、あの場面ではこちらが先だった、被害を受けたのはこの箇所だ、ということをたぶん言っているんだろうなと思いながら車の中に引きこもっていた。
周囲はあまり治安の良さそうな場所ではなかったので「もしかしたら車ごと襲撃されて死ぬんじゃないか」「ひょっとすると事故は狂言でこのまま車ごと拉致されるのでは」ととにかく不安になり、片時も緊張を崩せなかった。
20分ほど経ったのち、運転手が戻ってきて再出発となった。
「悪いね、どうも寝不足で」「このまま眠っちゃいそうだ」と疲れた笑いを漏らす運転手に必死に話しかけまくり、話が哲学的な領域にまで及び始めた辺りでようやく寮に着いた。
異様に疲れた。どっとベッドに倒れこむ。夕食はもう昨日買ったパンでいいや。
来週の土日は外出せずにゆっくりしよう。
絶対にそうしよう。