セブ語学留学体験記vol.1 きっかけはゴミのごとき大学生活

なぜぼくはフィリピンのセブへ語学留学に行ったのか。
理由をふたつ挙げるとするなら「世の中を舐めていたから」「現実逃避のため」だ。

これは、調子に乗っていた若造が挫折し、反省とともに再び立ち上がるかもしれない物語である。

たぶん。

遅すぎた大二病

2012年秋、ぼくは大学3年生であった。
そしていわゆる就活生だった。

大学3年の12月から就活が始まるのが一般的だった当時、夏休みを終えた友人達は頻繁に「合同説明会」「OB訪問」「キャリアセンター」「インターン」という何やら難しそうな単語を口にしていた。
周りには大企業や国家公務員を目指す人しかいなかった。

僕はというと、突如として「やっぱ男なら起業だろ」と公言しMac Book ProとiPod touchを計20万円で購入した。
プログラミング知識はほぼゼロだったが、「やっぱこれからはITだろ」と吹聴し10円でも売れなさそうな生ゴミアプリをドヤ顔で作り始めていた。
頭の中では常に「ベンチャー」「アプリで一稼ぎ」「ゆくゆくは上場企業取締役」というイメージが飛び交っていた。

俗に言う大二病である。

ノートパソコンを買っただけならまだしも、それを大学に颯爽と持ち込み、授業中の大教室で軽やかにキーボードを打ち、横にはわざわざ3つ先の駅で買ったスタバのラテを用意し、ビジネス書・啓蒙書を休憩代わりに読み、就活・公務員試験の準備に追われる同級生を横目で見て
「ま、頑張ってくださいな。ぼくは一歩、先へ行く…!
と呟いて何の根拠もなく勝ち誇っていたあの頃。

タイムマシンで殴りに行きたい。
そして半年ほど井戸の中から出てくるなと申し付けたい。

ちなみにMacのノートパソコンには”FCM Mac”(ファイナル・クリエイティブ・マシン『マック』)という名をつけて事あるごとに友人たちの前で呼んでいた。
カッコいいと思っていた。
今でもちょっと思っている。

ちなみに10円でも売れなさそうな生ゴミアプリだが、完成までに6ヶ月の時を要し、結局何の役に立つことも無く消えて行くことになる。

当時のことを思い出すと、今でも恥ずかしさで死ねる。

超低空飛行で春突入

大学3年当時のぼくは、とにかく雇われサラリーマンになりたくなかった。
「企業はブラックばかり!」「社畜になったら人生が終わる!」と強く信じていた。
しかし起業できるほどのスキルは何も無かった。
ならばフリーでやっていこうと色々慌てて始めてみたのだ。

「大丈夫、自分には才能がある!」

Mac Bookを買ってiPhoneアプリを作り始めたり、Androidアプリに転向してみたり、転売に手を出そうとしたり、Amazonで輸出入を始めてみようとしたり…。
しかしそのどれもが大失敗。
結局20万円もの大金を失うことになった。
泣く泣くMacbookを売り払っていたにも関わらずこの赤字である。才能とは何だったのか

数年間バイトでこつこつ貯めてきた貯金を半分ほどふっ飛ばしたところで、ようやく「もしかして自分は色々とゆとりだったのでは?」と思い始めた。

折りしも時は2013年3月。ぼくらの世代で就職活動がピークを迎える時期である。
そして「クリエイターだから面接寝てても余裕で受かるなー」と余裕しゃくしゃくに受けた第5志望の会社に一次試験でばっさり落とされ壮絶なショックを受け2日ほど完全にベッドから出られなかった時期でもある。

どうしよう。とりあえず就職だ。でも何をすればいいんだ。
スキルも無い、金も無い、特に良い大学でもない、就活の準備は何もしてこなかった。
気持ちだけがあせり、結局何も有用なことはできぬまま時間だけが過ぎていく。

次々と内定が決まっていく友人たちを見て、「お灸を据えてやろう」とばかり胃がキリキリと悲鳴を上げる。
あれだけ大言壮語しておいてこのザマである。痛々しいにも程があった。

エントリーシート提出時点で今回はご縁がなかったり、一次試験で今後のご活躍をお祈りされたり、私服でいらしてくださいと言われた二次試験で僕以外は皆スーツで来て一人だけ採用を見送らせていただかれたり、そもそもESの締め切りに気づかず徹夜で書き上げた超大作がムダになったり、説明会の日時を1日間違えて壮絶な爆死を遂げたりと、心の折れる音が日に日に増していった。

ため息が増え、笑顔が消え去り、あらゆる余裕が失われていく。
もうこの先、何も良いことなんて起きないのだと半ば確信した。
だが絶望に伏しながらも、いつしか冬の名残が溶け新たな季節が訪れるだろうと信じていた。

そして、人生を変える大学4年生の春がやってきた。

運命の出会い

4月。
大学ライフの底辺すれすれを滑空していたぼくは、ある日ふと講演会を覗いてみる気になった。
時刻は夕方、会場となる大教室で、「まぁどうせ何も起こらないだろう」とあくびをかみ殺していた時。
その人物は現れた。

その方の名は、太田英基。

弱冠20歳にして「タダコピ」という広告サービスで学生起業し、株式会社オーシャナイズに取締役として就任。
2010年に退職し、フィリピン英語留学を経て2年間の世界一周の旅に出る。
現在は新たに株式会社を設立し、社長業のかたわら講演・執筆活動を行う。

という人物である。

大学生の方なら一度は使ったことがあるのではないだろうか、大学に置いてある「なぜか無料でコピーできるコピー機」。
あのコピー機に入っている印刷用紙には裏面に広告が載っており、その広告収入でコピー代10円を無料にすることができる。
……というシステムを作り上げた人なのである。

講演ではわくわくするような世界一周のエピソードに加え、自身の英語力不足を補うため行ったフィリピン英語留学での話、大学生で起業した時の困難・やりがいなどがユーモラスかつ熱い名調子で語られた。
「みんな、世界に出ようぜ!」
それが太田さんのメッセージだった。

失意のドン底にあった僕は一瞬で感化された。
これしかない! と思った。
「そうだ、世界に出よう!」
思うだけなら誰にでもできるが、とにかくそう思った。

そうだ、フィリピン行こう

世界に出ると決めたはいいが、まず何をすればいいのか分からない。
そもそも「世界に出る」なんてもっと早く決めておくものである。
就活でボロ負け続きの大学4年生が現実逃避気味に決めてしまった感がハンパない。
さて、どうしよう。

ところで太田さんはかなり早い段階から安価・高品質の「フィリピン英語留学」に着目されており、それに関する本も書かれている。

フィリピン英語留学。
これだ。
世界に出るには何をするにも英語がいる。
そして自分の英語力は無いに等しい。具体的に言うとTOEIC470点。

行こう。
フィリピンに行けば、全てが変わる。
英語力が上がれば就職もできるはず。

講演会が終わったあと、生協の本屋に直行し、太田さんの著作『フィリピン「超」格安英語留学』を買い、肩をみなぎらせ帰途を急いだ。
何でもできる気がした。

春。

長く暑い季節がすぐそこにせまっていた。