「青信号 誰かが行かねば 渡れない」っていう日本の風潮

なぜ、青信号なのに誰も渡らないのか?

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こんな光景を見た

横断歩道ってありますよね。

最近気づいたのですが、ほとんどの人は横断歩道が青になってもすぐには渡りません。

こちら側や(道路を挟んだ)向こう側の人のうち誰かが歩き出すのを見てからようやく渡り始める人が多いです。

そういう法律でもあるのかってくらい。

つい一週間前のことですが、道路の向こう側もこちら側も誰も歩きはじめなかったので、青信号になっても5秒くらい全員が静止してることもありました。

「え? これ行ってもいいの?」

おそらく、そう感じてしまったのでしょう。

なぜ青信号でも渡らないのか?

なぜ、多くの人は青信号になってもすぐには渡らないのか?
なぜ、必ず誰かが渡り始めるのを待つのか?

恥ずかしいからでしょうか。

最初に渡るとみんなが見るから。
突出して注目を浴びるのは恥ずかしい。
なるほど。気持ちはわかります。

それとも無意識のリスクマネジメントでしょうか。

ふむ。

「誰かが渡り始めたということは、道路に危険はないということ」
「だから渡れる」

そういう理屈ですね。

理に適っているように見えます。

真のリスクは無視される

ところで、「横断歩道におけるリスク」って何でしょうか。

言わずもがな「車にひかれること」ですね。
信号無視して突っ込んでくる車は何よりも恐ろしいものです。

では、それを避けるために行うべきなのは?

誰かが渡り始めるのを待つこと––ではありません。

自分が渡る前に左右を確認することです。

当然ですね。
「誰かが渡り始めること」と「車が突っ込んでこないこと」の間には、「渡り始めた誰かがきちんと左右を確認した」という事実がない限り何の関連性もありません。

しかし現実的には、信号が青になったときに左右を目視で確認してから渡り始める人はほとんどいません。

なぜか。

多くの人にとって、「車が突っ込んでこないこと」が常識だからです。

思い込み = 常識

3694人。
昨年(2017年)に交通事故で亡くなられた方の数です。
1日で10人が、日本全国のどこかで。
あまりにも痛ましい数です。
ご冥福をお祈りします。

命が失われる交通事故が膨大に発生しているのに、多くの人はそれを「自分にも起こりうる脅威」とは見なしません。

なぜか?

「信号無視して突っ込んでくる車はいない」という圧倒的経験則「常識」になっているからです。

ほとんどの人にとって、自分の目の前で車が突っ込んでくる事態は一生かかってもお目にかかれません。

何年も何十年もそれが続くと、我々はどう思うでしょう?

「車なんて突っ込んでこない」
「だから左右を見る必要なんてない」

そう思い込んでしまいます。

横断歩道における真のリスクを、無意識に「常識」で見過ごしてしまうのです。

世界最高峰の物理学者アインシュタインは

常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う

という名言を残しましたが、その意味がよく理解できる事例と言えるでしょう。

 

さて、疑問はまだ残っています。

横断歩道の真のリスクは気づかずに無視されている。

ならば皆、なぜ青信号になっても渡らないのか?

みんなとちがう行動を取りたくない

その理由は「なんとなくみんなと同じ行動を取りたくない」という思考にあると考えられます。

明確なロジックや感情に起因するものではありません。

「なんとなく」

どの国においても「無意識に多数派に従う」ということが行われますが、特に日本においてはそれが顕著です。

横断歩道における真のリスクに気づかず、とりあえず周りと同じ行動をとってしまう。

青信号に変わる5秒前、まだ信号は赤なのに車の往来がまったく無くなった。
そんな時、誰か1人が堂々と歩き出したら、多くの人は信号無視していっせいに歩き出すでしょう。

集団心理です。

赤信号 みんなで渡れば こわくない

そんな言葉が、深く刺さります。

「周囲と同じ行動をとる」ことの合理性

ところで、周りと同じ行動をとることは悪なのでしょうか?

いえ。
それほど非合理なものではありません。

むしろ、かなり合理的なものと言えます。

集団における多数派と同じ行動を取る、というのは我々が人間である以上かなり実利に結びつく行動です。

群れの誰かが危険を察知し、その他大勢が追従して危険を回避する。
それが集団行動を取る生物の本能です。

そうして人間は長い年月を生き抜いてきました。
種として途絶することなく。

失敗しない方法。
それが「周りに合わせること」です。

実際、特に日本においては「みんなとちがう行動をとらない」よう厳守すれば多くの面倒事を避けられます。

でも、いつもそうだとは限らない。

集団行動が、そしてそれに従うことが正しく成立するのは、他者が正しい判断を下している場合のみ。

左右を確認せずに横断歩道を渡り出した人を見て、「この道路は安心だ」と判断してしまうのは思考停止です。

見極める力を育てよう

大人になってみると、意外とこの世の中がテキトーにできていることに気づきます。

みんな、わりと「なんとなく」で動いています。

幼少期から「集団内での生活」を重視する日本では、集団の総意に沿う行動をとることが「常識」です。

みんながそう言ってるから。
みんながそう行動してるから。
「なんとなく」合わせる。

繰り返しますが、それ自体は別に憂慮すべきことではありません。

注意したいのはみんなが本当に「真のリスク」を捉えているかどうかということ。

横断歩道を最初に渡る人が左右を確認しているなら問題ありません。
危険を確認していない場合が要注意なのです。
そして後者は、本当に頻繁によく起こります。

安易に「周りに流されるな」とは言えません。
周りに流された方が圧倒的にコスパがいいなら、むしろ桃状態の桃太郎並に流されるべきです。

ですが、思考停止して流されることだけはやってはいけません。

そこに潜む真のリスクを見極めねばならないのです。

人生の横断歩道

人間、生きていればいろいろあります。

時には周囲から外れて我が道を行かねばならない時もあるでしょう。

そんな時、周りの人は制止します。

「やめておけ」
「どう考えても無理だ」
「それは正しい選択とは言えない」
「もっと賢くなれ」

……ですがその言い分をよく聞いてみると、大方は「常識」「固定観念」に立脚していることが多々あります。

なぜ青信号なのに渡らないのか?

「誰も渡っていないから」

それが集団の共通解です。
統一化された答えです。

誰もやっていないことは、やらない方がいい。

きわめて合理的です。
集団としては。

でも、いつだって自分は個人です。
集団の原理原則は、個人レベルには当てはまらないことがあります。

共通解であっても、唯一解ではない。

自分の頭で論理的に考えて、合理性があると判断し、実行したいと思ったのなら、自信を持って横断歩道を突き進みましょう。

きちんと左右を確認してから。

そうすれば、残った人たちも歩き出すはずです。
「渡ってよかったんだ」と思いながら。

まとめ

痛みを伴わない教訓には意義がない
人は何かの犠牲なしに何も得ることはできないのだから

そんな言葉があります。

でも、リスクを回避するためにあらゆる種類の痛みを背負っていたらキリがありません。

どうすればいいのか?

幸い、我々には強い武器があります。

想像力こそが、すべてを変える

想像力。
そして論理的思考。

立ちはだかるあらゆる困難を超えることは不可能かもしれません。

でも、自分の頭で考えることを、時に常識すらも疑うことをやめなければ、きっと真のリスクを回避して横断歩道の向こう側にたどりつけるでしょう。