子供のころの夏休みを、忘れたくない

朝、こどもたちが近くの公園で水をかけあっていた。

セミがよく鳴いている。

目的地へと向かう道すがら、今日が平日であることを思い出した。

そうか。

今年も、夏休みがやってきたんだ。

こどもの夏休み

こどもの頃は夏休みが待ち遠しかった。

1ヶ月半にわたる長期休暇。

旅行。お祭り。海水浴。キャンプ。花火。

何も予定がない日でも、朝から公園に行けば誰かがいた。

毎日遊んでいればよかった。

外は暑いけれど、みんなで少ないおこづかいを分けあって買った水風船を木陰で投げ合えば涼しくて、でも結局汗だくになった。

毎日が楽しかった。

 

それが当然だった。

 

当時、「おとなには夏休みがない」なんて知らなかった。

「夏休みは当然あるものだ」と思っていたから。

知っていたとしても、特に何も思わなかっただろう。

「今日と明日は何をして遊ぶか」

重要なのはそれだけだった。

おとなの夏休み

大学を卒業して1年目の夏。

ブラック企業ではたらきながら、そこを辞めるために必死に努力していた。

平日は寝る時間を削って、休日はすべての時間を費やして。

全力で副業に打ち込んだ。

体調は崩れた。立ちくらみも一度や二度じゃない。

それでも何とかやり続けた。

 

ある日、昼食からオフィスへと戻る途中に夏休みのこどもたちを見た。

直射日光が肌を焼く日なたを、友人とともに全力で駆け抜けていた。

笑いながら。

 

「そっか、もう夏休みなんですね」

 

遅ればせながら感じた季節感を手のひらでつかみとり、ベテランの先輩にそう話しかけた。

 

「いやー。夏休みっていいものでしたねー」

「もう一度あんな生活に戻ってみたいですよね」

 

言葉を継いだぼくの目をにらんで先輩は言った。

 

「は?」

「社会人には夏休みなんてない」

「大人だから遊ぶなんてことはしない」

「おまえも社会人なら甘えたこと言うな」

「だいたい、1ヶ月半も休んですることなんて無い」

「くだらん」

 

その一喝を最後に、先輩は昼食に戻った。

 

最近太って困ると日に三度グチをこぼす先輩のランチは、駅前のコンビニで売っている特盛焼肉弁当だった。

おとなになったけど、こどもの頃を忘れたくない

あれからもうすぐ3年が経つ。

 

今なら先輩の気持ちがすこし分かる。

こどもにとって「おとなの夏休み」がどうでもいいのと同様、おとなにとっても「こどもの夏休み」なんてどうでもいいのだ。

自分には全く関係がないのだから。

 

きっとこどもの頃に

「大人って大変だよな。夏休みなんて数日とか0日の人もいるんだぜ」

と友人に話したら

「だから何?」「それおれたちに関係ある?」

そう言われることだろう。

 

でも。

「おまえも社会人なら甘えたこと言うな」

「だいたい、1ヶ月半も休んですることなんて無い」

この2つだけは、今になっても納得したくない。

 

社会人になったら、一度働き始めたら、定年になるまで長期休暇を望んではいけないのか?

社会人になったら、長く働いていたら、たった1ヶ月半の間でやりたいことすら消えてしまうのか?

 

それが、この国を支える「ちゃんとした大人」の理想像なのだろうか。

こどもの時代へ

「フリーなんて不安定な仕事よくできるね」

「いいよな、お前は」

 

フリーランスになって他人からよくそう言われる。

前者は侮蔑を、後者は羨望を交えて。

会社時代のぼくならきっと同じように思っていただろう。

そこは別に、いい。

 

「もう少し、こどものように自由に生きたい」

「でも経済的に自立しなければいけない」

相反する願望と制約がしのぎを削り合い、ぼくがたどり着いたのがフリーランスという手段だった。

長い時間がかかったけれど、今のぼくはあの頃より収入が減った。

そして、だいぶ自由になった。

 

「こどもの頃みたいに」

子供じみたその思いが、少しだけぼくをこども時代に近づけた。

かつてこどもだったおとなへ

「おとなぶってんじゃねえよ」

遠い過去のぼくが、そう言った。

 

「こどもぶってんじゃねえよ」

近い過去の先輩が、そう言った直後のことだった。

 

おとなは大変だ。

税金も保険も家賃も食費も、自分や誰かのために支払わなければならない。

生きるために。

だから働いてお金を稼ぐのが一番大事だ。

生きるために。

 

でも、今まで苦労してお金を稼いだからといって、今までのやり方をずっとずっと続けなくちゃいけないという道理はない。

 

もっと楽な方法は。
もっと効率的な手段は。

どうしたら残業を減らせる?
どうすれば休暇を取得できる?

 

めんどうだ。
考えるのが億劫になる。
目の前の仕事をやらねば。
みんなそうしてるしこれが正解なんだ。

 

満員電車は、サービス残業は、長時間労働は、休日返上は、パワハラモラハラエトセトラは、その思考停止で見逃して本当にいいものなのだろうか。

 

「おとなぶってんじゃねえよ」

「じゃあ、どうすればいい?」

「やりたいことやりなよ!」

「どうすればいいんだ」

「そんなの知らないよ」

「?」

「きみの方が、よく知ってるじゃん!」

 

 

 

ぼくらは大人になって、長期休暇と、親の庇護と、モラトリアムを失った。

でも、多くの知識と、たくさんの経験と、自らの現状を誰よりも深く知る自分を手に入れた。

 

「必ず何かを変えなくちゃいけない」というわけじゃない。

ただ、こどもの頃の夏休みに考えていたことを忘れてはいけない。

あの頃ぼくらは「何をしたいか」「何をしたくないか」だけ考えて、それが実現するように全力を注いだ。

 

何かをするには意志が必要だ。

 

「大人なら」「社会人なら」というよく分からない言葉に抑えつけられて、「もっと長く休めるようになりたい」という欲望を想起することすら放棄してしまったら、もう意志は生まれない。行動は起こらない。

 

セミの鳴き声を、白い入道雲を、どこまでも広がる青い空を、まとわりついて肌をこがす熱気を思い出せ。

エネルギーだけで一日中動いていた、あの頃の。

 

意志を取り戻せ。

 

なりたい自分はどこにいる?