セブ語学留学体験記vol.16 いろいろ死にかけました

リゾート地モアルボアル滞在2日目。

出発して死にかけ、着いてからも死にかけ、寝る前にも死にたくなったこの地とも今日でさよなら。

もう危なげなバスには乗らないし危なげなダイビングもしない。

これでもう安心だと思っていた。

しかし気まぐれな人生の荒波は非情なものだった。

穏やかな朝、遠い日本

早朝の散歩

朝日を見るために明け方5時半に目覚める。
外は既に白み始めている。急がねば。

リゾート地の涼やかな早朝の風を感じつつ歩を進める。
これで海の向こうから立ち上る荘厳な朝日を鑑賞できたらモアルボアルに来た甲斐もあるというものだ。

何しろモアルボアル関連の思い出と言えばクレイジーバス、腹痛、デンジャーダイビング、英会話力皆無の自覚、と他責自責の区別なくおよそ気の滅入ることばかりであった。

ここで美麗な景色を見ておけばきっとこの1泊2日も良い思い出になる。
そう思ったのだ。

しかしこの日の朝は憂鬱に呑まれそうな曇り空だった。
ついでに朝日は大きな山の向こう側であった。
朝焼けなんて夢のまた夢だった。

仕方なくその辺を散歩して帰る。
やたらとあちこちで鳴きまくるニワトリの声がただ一つの慰めであった。

おだやかな朝食

さて、ロビーに戻ってきた。
レストランは7時にならないと開かない。

外を見るのにも飽きたので手持無沙汰になった。
時間をつぶすことにする。

ここが日本なら適当な無料ゲームアプリでもダウンロードして無聊を慰めるのだが、あいにくここは日本国外である。
Androidでは、日本国外から日本のゲームをダウンロードすることがほとんど出来ない。

有名なゲームアプリをほとんど入手できず、切羽詰ってあるカードガチャ型のソーシャルゲームをインストールし始める。

課金インセンティブを刺激する非常に巧妙に仕組まれたゲーム設計に、据え置き型ゲームビジネスモデルの終焉を感じつつ時は経っていった。

7時になり、カミヤマさんと一緒に朝食をとる。
マンガでしか見たことのない「クラブハウスサンド」なる貴族のメニューを注文し「これでぼくも上流階級ですわ」とドヤ顔を放ったらカミヤマさんが優しそうな目で頷いた。

幼児のやんちゃを見守る母親の眼差しに酷似していたのは気のせいだろう。

はじめてのおつかい

さて、サトウくんは何をしているのかというと、昨日の屋台のスパゲティが遅効性だったらしく腹痛で寝込んでいた。

下痢止めの薬を調達するため、ぼくとカミヤマさんは薬局へと足を向けた。

ホテル最寄りの薬局は外観が完全に駄菓子屋であった。

カミヤマさんが一粒9ペソ(約20円)とかいう意味が分からないくらい安い下痢止めの錠剤を購入した。
なお一粒単位で個別販売されている。

帰ってサトウくんに薬を渡し、一休みする。

朝9時、昨日と同じダイビングショップへ。
ぼくは完全にダイビング恐怖症に陥っていたので、本日はシュノーケリングを選択。
カミヤマさんも付き合ってくれた。

なおサトウくんはダイビング。
かなり体調が悪いはずだが、「水に入れば大丈夫なんで」とのこと。
どこの海人だ。

シュノーケリングは1回500ペソ(約1,200円)。
この価格に慣れると日本で泳ぎたくなくなりそうで怖い。

支度をして他グループと一緒にボートで出発する。
船上ではガイドの人が何人かいるが、昨日と比べるとやたらと冷たい。
その代わりダイビング組にはかなりフレンドリーな様子。

「何でシュノーケル組には冷たいんですかね?」とカミヤマさんに尋ねると、「そりゃシュノーケルは儲からないからだろ。手もかからないしな」とのこと。

世の中の闇を少しだけ垣間見つつ、ボートが上げる水しぶきをぼうっと眺めていた。

はじめてのシュノーケリング

長い間!!!くそお世話になりました!!!

荒れ気味の海上を突き進むボートが辿り着いたのは、Pescador Islandなる無人島であった。

某国民的海賊漫画で某コックが漂流した島に似た、見事なねずみ返しを備えている。
身一つで上陸することは不可能だろう。

高い波音を立てて次々とダイビング組が潜っていく。
最後にはぼくとカミヤマさんが残された。

シュノーケリングの経験がないぼくは、いまさらながら怯え始めた。

25メートルを恐ろしく緩慢なスピードでギリギリ泳ぎ切ることくらいしか出来ないぼくに、果たしてシュノーケリングは可能なのか?

波はかなり高い。
冗談でなく溺れてしまいそうだ。

「ここから飛び込んで島の反対側まで行くからね」とガイドが言う。

えっ。
移動するんですか。
その場でばしゃばしゃ潜ってればいいんじゃないですか。
ボートが近くにいなくなっちゃうんですか。

あわあわしながら慌てていたら、カミヤマさんが「死ぬなよ(笑)」と冗談交じりに凄まじく恐ろしいことを言って海に飛び込んだ。

かなり切実にボートに残りたかったが、ここまで来たのである、この留学で残しておいた最後の勇気を振り絞って海に飛び込んだ。

やばい!死ぬ!

水面に浮上する。
まずはシュノーケルにたまった水を追い出し空気流入口を確保するため、思いっきりシュノーケルに息を吹き込む必要(シュノーケルクリア)がある。
これで溜まった水が水面上の管から噴出され、呼吸ができるようになるのだ。

思いっきり息を吹き込む。

そして胸いっぱいに空気を……吸えない!

口の中に入ってきたのは塩辛い海水であった。

空気が入ってくるかという前提で息を吸い込んだのである。
思いっきり水を飲み込んでしまった。

途端にパニックになる。

この際の生存本能のフル稼働っぷりは筆舌に尽くしがたい。
とにかく頭が真っ白になり水面から顔を上げることで思考が埋め尽くされるのだ。

ばっと海面から顔を出す。

必死にバタバタと手足を動かして浮く。
見栄えなど気にする余裕もなく、とにかく浮くことしか出来ない。

新鮮な空気を手に入れることはできたが、船上から見るより実際の海面は荒れ放題だったため、3秒おきに大きい波が来て頭から水をかぶってしまう。

落ち着いて呼吸もできない。

やばい。死ぬ!!!

パニック

必死にボートの足にしがみ付く。

ボートは両翼にアメンボのような足が突き出ており、そこに捕まることでとりあえずの安静を得ることができた。
しかし波の大きさは伊達ではなかった。
波で船が揺れるごとに大きく上下に身体が持っていかれ、体力は消耗していき、頭から水をかぶり続ける。

もうダメだ。
ボートに上がろう。
100%そう思った。

そしてガイドの人に「もうムリ、上がりたい。シュノーケルで空気吸えない」と言ったところ、ガイドの人が「自分のと交換しよう」とシュノーケルの交換を申し出てきた。

いやいや交換したくらいで解決しませんよぼくみたいなカナヅチはボートに上げさせてくださいと思いつつガイドの人のシュノーケリングを装着する。

間近でガイドの人がシュノーケルクリアをするのを見ながら、「どうせ無理ですよ」と半泣きになりながら見様見真似でやってみる。

すると、出来てしまった。

ちゃんとシュノーケルで呼吸ができる状態になってしまった。

出来てしまったのだからもう言い訳はできない。
行くしかない。

心の半分で「でもどうせすぐに水が入ってくるんだろ?」とビクビクしつつ泳ぎ始めるシュノーケリングツアーがスタートした。

水面下の攻防

水面直下とはいえ、海の中なのでかなり穏やかに自意識を保てる。
海上に浮かんで息をすることに比べれば。

波に揺られながらも海中を見つつ呼吸ができるのは、ダイビングの時とはまた違った不思議の感覚がある。

しばらく泳いでみて思ったのは、力を抜いて泳いでいれば高い波が来ても全く問題ないということ。

高い波が上から降ってきてシュノーケルに水が流入して呼吸不可能になる――なんてことは全くなく、波と同時に身体も持ち上がるので海面上のシュノーケルに水が入ることはない。

海面上であたふたしていた時はあれほど凶暴だった波が、今は全く気にならない。
時々身体が上に持ち上がると「ああ高い波が来たんだな」と分かるが、その程度である。

ようやく安らかな気持ちになれた。

余裕が出来たので辺りを見回す。
全体的にかなり綺麗で透き通ってはいるが、昨日の台風の影響もあるのだろうか、透明度は13メートル程度だ。

珊瑚が断続的にコポコポと小さな泡を吐き、それが水面でパチパチ音を立てて割れていく情景は実に幻想的で美しい。

下で潜っているダイバーたちが吐く空気も無数の泡となって海面に向け立ち上る。
人が生きられぬ世界に様々な生命の証左が胎動する。さながら物語の中にでもいるかのような雰囲気である。

ただただ、美しい。

地上では絶対に見ることが出来ない絶景である。

これを見ただけでもモアルボアルに来た甲斐があったと言えよう。

ツアーを終えボートに戻ると、まだ時間があるということなので再度海へ。
まずシュノーケルクリアの練習をする。

10回ほど繰り返すとさすがにコツのようなものが分かってくる。
瞬間的に思いっきり息を吹き込めばいい。
それが全てである。

こんな簡単なことがなぜ先程はできなのだろうと不思議にすら思う。

慣れてきたので勢いをつけて素潜りと洒落込んでみる。
……が、ビックリするくらい潜れない
どんなに頑張っても2メートル以上潜ることができない。

ダイビングではあれほど簡単に15メートルを潜ることが出来たのに。
いや簡単ではなかったが、とにかくド初心者でも潜ることはできた。

10メートルを軽々超えて潜る海女さんの凄まじさが身にしみて理解できた。

仕方がないので時間が来るまで水面付近でプカプカと浮いていた。

安全が一番である。

お帰りはクレイジーバンで

快適なドライブ……ですよね?

海でのアクティビティを終え、昼食をとる。

土産店に売られていたポストカードを買おうとしたら店員に30ペソだと言われ「多分ふっかけてきてるな」と思い「25ペソなら買う」と言い商談が成立しドヤ顔で帰るが適正価格は15ペソかそれ以下だよとホテルの従業員に教えられ軽く凹んだりもしたがとにかくチェックアウト。

3人でトライシクルに乗りバスターミナルへ向かう。
いよいよモアルボアルともお別れである。

「もうクレイジーバスには乗りたくない」とぼくとカミヤマさんは強く反対したが、どうやらセブシティに帰るにはバスしか無さそうである。

お通夜のような雰囲気で待っていると、カミヤマさんが太陽のような笑顔でこちらに駆けてきた。
どうやら少し離れたところにセブシティ行きのバンが停まっているそうである。

バス以外なら何でもいい。

突如現れた天使に感謝しつつ11人乗りのバンに乗り込む。

そして出発。

思いっきり手足が伸ばせて実に快適である。

かなりの安全運転なのでカミヤマさんと「そろそろ本気出してくれないかなー」「我々にはこのスピードは物足りないですね」と冗談を交わしあう余裕すらあった。

本気を出される

その期待に答えたのか、バンはモアルボアル序盤で数分おきに停まり新たな乗客を乗せていく。

明らかに積載人数をオーバーしているのに次々と人を乗せていくドライバー。

車が停まるたびに「え? まさかまだ乗るの?」という嫌な予感が発生し的中率100%で人が増えていく。

席一列が大人3人でもややキツめの所にもう一人大の大人が乗ってくる。
キツすぎる。
手足を折りたたむ。
身動きもとれない。

最終的に11人乗りのバンに19人(赤ん坊も入れると21人)を乗せたところで本領発揮。

もう乗せられる乗客はいないのでバンのスピードがどんどん上がっていく。

山道狭路はなんのその。
死にたいのかと思う程ドライバーは速度を上げていく。

片側一車線の山の一般道で、高速道路での巡航速度をはるかに上回るスピードで突っ込んでいく乗客率190%オーバーの車というものをご想像いただけるだろうかいやきっと不可能だろう。

日ごろの行いのおかげか幸運にもその車内に居合わせたぼくはかなり現実的な死のイメージを間近に感じていた。

身じろぎひとつ取れない窮屈な車内で見る景色は映画のようですらあった。

一度ならず複数回も本当にギリギリのところで超高速の正面衝突を10cmレベルで回避したりもした。(対向車も軒並み猛烈なスピード狂である)

山の下りで縦に並び道をふさぐロードバイクの群れを、反対車線に躍り出て一気に車6台分も追い抜いたりもした。

クレイジーバスの時は「こちらの乗っているバスが大きく頑丈だから衝突事故になってもある程度は大丈夫だろう」という安心感があったが、小さいクレイジーバンにはそれがない。

死の淵が目前に迫り轟音と共に風のように一瞬で去っていくその時間は、さながらあらゆる走馬灯をこの世に顕現させようかという新世代の試みのようにも感じられた。

花言葉は「生命の輝き」

無間地獄にも思える長い時間が過ぎ、窮屈で蒸し暑くて文字通り死にかけた2時間半の悪夢が終わった。

セブシティに到着したぼくらは、出発直後に「そろそろフィリピン人ドライバーの本気見せてくれないかな」とあまりにも軽率な冗談をのたまった事を深く反省し、五体満足で大地を踏みしめることが叶った奇跡を憔悴しきった顔から繰り出される濁ったアイコンタクトで喜び称え合った。

寮に戻るとカミヤマさんはすぐにパッキングをし、軽やかに帰国の途に着いた。

空港まで向かうタクシーに乗った時の「何かもう怖いものないわ」というカミヤマさんのコメントが心に深く残った。

去っていくタクシー。

その後ろ姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
セブの夕暮れに、近くの教会が荘厳に映える。

モアルボアルへの旅で学んだこと――それは、生命の輝き。生きることの尊さ。

マリーゴールドの花が、どこかで揺れた気がした。