セブ語学留学体験記vol.14 モアルボアルに行ってみよう

1ヶ月の語学学校生活も半分が終了した。

さあ週末だ!

数日前に友人になったカミヤマさん(仮名・男性)と共に、セブ南部のモアルボアルを目指す。

その旅路で果てしなく「死」に近づくことを、この時のぼくはまだ知らなかった。

南西のリゾート地

モアルボアルは、セブ島の中心地セブシティの南西90kmに位置する田舎である。

美麗な海とのんびりとした開放的な雰囲気が特徴で、ヨーロッパ系の長期滞在者が多く、またダイビングスポットも数多く有する。

観光開発はあまり進んでおらず、現地の住民と距離が近い空気感が町に漂う。
その穏やかな場所では、時間がとてもゆっくり流れる。

非常に心地よい場所だ。
ぜひ行こう。
むしろ行くべきだ。

……とカミヤマさんに熱く語られたので行くことになった。

先週アクアワールド・ダイビングセンターで一緒になったサトウくんも誘い、彼とは現地集合ということになった。

語学学校の寮を出て、土日で1泊2日する長期外出である。
ワクワクしないわけがない。

遠足に出かける前日のように興奮し、電気を消した暗い部屋でベッドに身を横たえつつ3人部屋の同居人たちとマンガ『いちご100%』の主人公はどのヒロインと結ばれるべきだったかとかいう果てしなくどうでもいい議題に壮絶な熱量と時間が費やされ、結局眠りについたのは午前2時過ぎだった。

あ、これ2時間しか眠れないパターンだ。

バス選びは慎重にすること

朝4時半に起床。

支度をしてカミヤマさんとタクシーに乗り、モアルボアル行きのバスが出ているセブシティのSouth Bus Terminal(サウス・バスターミナル)へと向かう。

さて、モアルボアル行きの高速バスは2種類ある。
150ペソで乗れるWi-Fi・エアコン完備のバスと、100ペソで乗れるただのバス。

快適なのは明らかに前者である。

なので我々も150ペソのバスを探していたが、100ペソバスの運転手が
「あの150ペソのバスは11時まで発車しないよ! うちの100ペソバスに乗りな!」
と強く勧めてくるので、言われるがままに乗車した。

果たして、6時少し前にその150ペソバスはモアルボアル目指してバスターミナルを出発していった。

それを眺めつつ騙されたことに気付きかけた我々だが、「150ペソバスなんて最初から無かった」と思い込むことにして事無きを得た。

ようやくこちらの100ペソバスも動き始める。
(明らかに2人分のスペースしかないが)片側3人座りの巨大バスが動き出すとさすがに迫力を感じる。

出発するや否や乗客に対し大声でバナナ・ミネラルウォーターはいらないかと叫び始める売り子2人が衝突してあわや喧嘩になりかけたり、頭の中にまで響く超大音量のクラクションが5秒に1回の割合でかき鳴らされたり、そもそもバスが全体的に右に傾いていることに気付いてしまったり。

鼓膜を突き破らんばかりのクラクション音が断続的に鳴り、それに負けじと売り子は声を張り上げる。
やはりバスは傾いている。

空は今にも泣きだしそうな重い曇天である。
何とも言えぬ不安が先行きを霞ませ始めていた。

天国行き超特急バス

出発して15分くらい経った頃だろうか。
バスは交通量の多い市街地を抜け、片側三車線の広い道路に出た。

と、途端にバスがスピードを上げた。

え?
速い。
速すぎる

どう見ても時速90kmは超えている。

車が少ないとはいえ、ここは高速道路ではなく一般道である。

何が起こったのかと周りを見るが、現地のフィリピン人はむしろ「やっとスピードを上げたか」とでもいうかのような落ち着きよう。

なおこのバスの客席にはシートベルトは存在しない。

そもそも運転手からしてシートベルトをしていない。

加えて前方のドアは走行中でも開閉が可能なつくりで、客室乗務員らしき人が開けたので今は開きっぱなしである。

客席のドアから「グオオオオオ」というおよそバスらしからぬ滑走音と「バババババ」という風切り音が耳朶を打つ。

窓側の席に座るカミヤマさんは、ハイスピードでバス内に流入してくる暴風のおかげで髪型が常時獅子舞のごとき踊りっぷりであった。

「ならば窓を閉めればよいではないか」?

甘い。
フィリピンのバスがそんな甘さを認めるはずがない。

もちろん客席の窓は操作不可であり常に開きっぱなしである。

この時点で「何かがおかしい」と気付くのはカンタンだが、真の衝撃はこの後にやってきた。

しばらく時速100km近い速度で走っていたバスが、突如もう一段階スピードを上げ反対車線に踊り出た

え?

これいわゆる”逆走”ですよね?

不可解に思う間もなく、ぼくたちのバスはそれまで前方を走っていたバスを追い抜いた後、しれっと元の車線に戻りスピードを落とした。

しばしカミヤマさんと見つめあう。

自分たちの乗っているバスが、ただ前方の車両を追い抜くためだけに一瞬とはいえ反対車線に出たという衝撃を受け止めきれずにいたのだ。

下手したら死ぬ状況である。

「……見間違いですかね?」
「ハハッ、見間違いだよ!」

何とかその場を乗り切る。

しかしその直後、「二連続だぜ!」とばかりにタンクローリーをこれまた反対車線にまで膨らんで追い抜いた現実を目の当たりにし、それまで何とか平静を保とうとしていたぼくたちの精神力はあえなく瓦解した。

鼓膜破りの連続クラクション、閉まらない窓と顔を打つ暴風、逆走してでも目的地への速さを求めるスピード狂の運転手、それらの要素が混然一体となりぼくらに「いつ死んでもおかしくない」というかなり説得力のある恐怖を抱かせた。

事ここに至り、完全にテンションがおかしくなったぼくらはよく分からないふわふわとした現実感のまま物凄く下らない会話に没頭して平静を保たねばならないという強迫観念に駆られ実行に移した。

以下はその一部である。

クレイジーバス内での会話

(※ぼ……ぼく、カ……カミヤマさん)

ぼ「カミヤマさん」
カ「なんだい」
ぼ「ぼくらが乗っている乗り物は何でしょう」
カ「言うな。……まぁほら、彼らもやっぱりプロだからさ、仕事に誇りを持っているワケだよ。ドライバーライセンスは伊達じゃないんだよ」
ぼ「ほう、すると閉まらない窓は」
カ「お客に生の景色と風を楽しんでもらうためだよ」
ぼ「開きっぱなしの前方のドアは」
カ「いざとなったらドライバーが逃げやすいようにじゃね」
ぼ「ぼくら見殺しですか」
カ「ああ。やっぱりほら何、こんなバス映画みたいじゃん、乗客もエキストラの役目を求められてるんだよ」
ぼ「なるほど。ラストは炎上爆発するバスを背景にドライバーが転がりながら脱出してハッピーエンドですね」
カ「俺らは死んでもいい。それこそがエキストラ魂だ」
ぼ「いやぁ感動的ですね」
カ「さっき売り子同士がぶつかってケンカしてたけどさ」
ぼ「はい」
カ「そういうのも含めてエンターテインメントなんだよ」
ぼ「ああプロレス的な」
カ「明らかにブチ切れてたけど、それもただのお芝居に過ぎないんだよ」
ぼ「なるほど、乗客を飽きさせない温かい心遣いですね」
カ「片側一車線の狭い山道で常に道路のド真ん中を高速で走って、対向車が来たらようやく避けるみたいなスタンスにもきっと理由があるんだよ」
ぼ「ああ中庸ですね」
カ「何それ」
ぼ「仏教の悟りみたいなアレです」
カ「するとあのクレイジードライバーは運転中に悟ってるのか」
ぼ「やっぱりすごいですね」
カ「昨日雨が降ってスリップしやすい路面状況の山道を全力疾走で駆け抜けるのもさ」
ぼ「やはり本物のリアルを追求してるからですね」
カ「そういや途中の休憩所しれっと通りすぎたな」
ぼ「スピード出すことに家族の生計懸かってるんで当然スルーですよ」
カ「マジか」
ぼ「あのドライバー確か昨日付けのバススピードランキング1万人中6位でした」
カ「そりゃヤバいな。ところで窓側の席キツいから代わって」
ぼ「はい」
カ「ふう。おっ、このクラクションは。抜きにかかるぞ」
ぼ「ああクラクションランゲージでしたっけ?」
カ「この頭にガンガン響く音量もたまらないね」
ぼ「テンションが上がりますもんね」
カ「暴風と爆音で何か具合悪くなってきたけどたぶん気のせいだよね」
ぼ「気のせいですよ。ところでカミヤマさん、このバスの車体に”EXPRESS”(特急)って書いてあったじゃないですか」
カ「あったね」
ぼ「あれ多分”EXPRESS TO DEATH”(地獄超特急)の略ですよ」
カ「大事な所を隠す。わびさびの精神だね」
ぼ「奥ゆかしさまで兼ね備えているとは」
カ「最初は騙されてこのバスに乗っちゃったと思ったけどさ」
ぼ「たぶんこのバスでないと真のモアルボアルにはたどり着けないんですね」
カ「間違いない」
ぼ「ところでさっきからこのバス、何回か対向の小型車と衝突スレスレの所を通ってるんですが」
カ「獅子は兎を狩るにも全力を尽くす。王者の鑑だね」
ぼ「あふれる闘争心が人の心を打つんですね」
カ「俺思ったんだけどさ」
ぼ「はい」
カ「フィリピンではさ」
ぼ「ええ」
カ「ライセンスは何の保証にもならない」

解放、そして……

2時間半のバスの旅が終わった。

一瞬たりとも生きた心地がしなかった。

不動の大地に五体満足で降り立った時、ぼくらは何を言うでもなく互いに固い握手を交わした。
生きてるって素晴らしい。

さて、モアルボアルのバスターミナルは人でいっぱいだった。

とりあえず腹ごなしをしようということで、近くの料理店に入った。
衛生的にはやや不安の残る店の外見だが、背に腹は代えられない。
泣くほど安い料理を次々に注文する。
豚の角煮が美味しすぎて2人で歓声を上げる。
本当に生きててよかった。

しばし休憩の後、ホテルへと向かう移動手段を探す。
ホテルやダイビング店が存在するビーチエリアからとモアルボアルのバスターミナルは離れた場所にある。
そのため、タクシーかジプニーかバイクで移動する必要がある。

移動する足を探そうとすると、わっと人が寄ってくる。

ドライバーたちだ。

どこまで行くのか、幾らで行くぞ等一斉に話しかけてくるのでかなり怖い。
事前に相場を調べておいたので「50ペソで行ってくれ」と言うが、「いや150ペソかかる」とかなり強固に突っぱねてくる。
セブ語学留学を通して、ここでの値段交渉が一番苦労した。

語彙も豊富ではなく、対人の英会話スキルに乏しかったぼくは、迫力に負けすごすごと言い値でOKしそうになった。

しかしすかさず入ってきたカミヤマさんが交渉をすると、あれよあれよという間に適正価格の50ペソにまで値段が下がった。

不甲斐ないぼくはただ空を見るしか出来なかった。

3人乗りバイクという道交法も真っ青な乗り物で目的地へ。
10分ほどで着いたそのエリアは、やや寂れた海沿いの観光地とでも言うべき静かな場所だった。

3人部屋で2,000ペソという破格の安さのホテルにチェックイン。
時刻は朝の9時を少し回ったばかり。
サトウくんが到着するまで手持無沙汰である。

クレイジーバスの猛攻の爪痕深くホテルに着いた途端胃の中のものを全て戻してしまい寝込み始めたカミヤマさんを置いて、一人で散歩でもすることにする。

ぼくも何やら先ほどから腹痛を感じるが、きっと気のせいだろう。

そうに決まっている。

一雨来そうな曇り空が、ぼくらの先行きを暗示していた。